2024.11.11
大阪のランドマークといえば大阪城!~大阪城の日本一をご紹介~
技術情報
お世話になっております。キャディアンです。キャディアンは大阪に拠点があります。大阪といえば、大河ドラマ「真田丸」の舞台になった、日本百名城の一つ、城下には庭園やコンサートホールもある都市公園をもつ大阪城ですね。今回は大阪城が日本一を誇っていることについてご紹介します。ちなみに「おおさかじょう」の漢字表記ですが、明治以降になると「大坂」を「大阪」と表記するようになったため、明治以前の「おおさかじょう」を指すときは「大坂城」、明治以降の「おおさかじょう」を指すときは「大阪城」と本記事では表記しています。
大阪城の歴史
豊臣秀吉によって築城
1585年に豊臣秀吉が最初の大坂城を築城しました。金の鯱が装飾された天守で絢爛豪華かつ、2km四方にもおよぶ惣構に二重三重の堀を備えた難攻不落の城で「三国無双の城」と讃えられました。しかし豊臣秀吉の死後、弱体化した豊臣家と徳川幕府との合戦「大坂夏の陣」で豊臣家が敗北すると徳川幕府によって徹底的に破壊されてしまいます。
江戸時代になって再建
1620年になると江戸幕府二代将軍徳川秀忠によって、再築工事が開始されました。豊臣時代の大坂城の天守は金の装飾を際立たせた外観でしたが、再建された大坂城は漆喰を塗り籠めた白い天守で豊臣色を排除した外観でした。規模も豊臣時代より広く、天守台も含めた天守の高さは58mと当時の城郭では破格の高さでした。しかし度重なる落雷で天守を失い、鳥羽・伏見の戦いの後に起きた火事で建造物のほとんどが焼失してしまいます。
近代になって、今も残る天守閣が作られる
明治時代になると大阪城跡は陸軍の駐屯地となります。軍の施設が建設されていく一方で大正時代になると大阪城周辺の公園整備計画がもちあがります。1928年(昭和3年)には当時の大阪市長が大阪城の天守閣復興を含んだ大阪城公園整備事業を提案すると市民から寄付が殺到したそうです。こうして1931年に当時の建築技術の最先端であった鉄骨鉄筋コンクリート建築の大阪城が竣工しました。この時に徳川時代風の白漆喰壁を用いつつも、最上階は豊臣時代風の黒い外壁の今の見た目に近い姿になりました。大阪城公園整備事業が進み天守閣が再建されましたが、庁舎など軍関係の施設もあったため、太平洋戦争時は米軍の爆撃目標になり、1945年8月14日の大阪大空襲で二番櫓や三番櫓、京橋門など徳川時代から残る建造物が焼失し大きな被害を受けましたが、天守閣は難を逃れました。
平成の大改修で外付けのエレベーターが作られた
1995年から1997年に耐震性の向上やバリアフリー化を目的とした「平成の大改修」が行われました。このバリアフリー化によって、石垣のところにエレベーターがつけられました。国の重要文化財に指定されたりしていると後からエレベーターを設置するのは難しいそうです。だからなのか日本百名城でエレベーターが設置されているのは大阪城の他に岡山城だけです。城にエレベーターというとびっくりされるかもしれませんが、大阪城は1931年に再建したときから天守内部にエレベーターがありました。つまり内部と外部の両方にエレベーターがあるというのも大阪城の特徴の一つです。
大阪城の石垣は日本一!
本丸東面の石垣は高さ約32メートルで日本一の高さを誇っています。32メートルというと7~8階建てのビルの高さに相当します。本丸東面の石垣は、二の丸の青屋門を南に進むと見えてきます。スケールに圧倒されますが、32メートルという高さは水中の石垣も含むため、実際は目に見えるより大きな構造物です。高さだけではなく、大きさも日本一で、本丸正門の正面にある大きな石は「蛸石(たこいし)」と呼ばれ、鏡石(※権力を示すために置かれた巨大な石)としては日本一の大きさです。蛸石は高さ5.5メートル、幅11.7メートル、重さ約108トンにもなります。大阪城の巨石は他にも10個以上あり、城の各所に点在しています。
蛸石(たこいし)
石垣に必要な大量の石はどこから来たのか?
大阪城の天守閣は近代に建てられたものですが、地表に見える石垣の多くは江戸時代初期に作られたものです。大阪城の石垣には、約100万個の花崗岩が使われていますが、これらの石は六甲山や瀬戸内海の島々、遠いところでは九州の採石場から運ばれました。大きな石の運搬には主に水運が用いられましたが、少なからず陸路での運搬も必要です。陸路での運搬には、そりを並べた丸太の上に載せて丸太の転がる力で運んだそうです。大阪城には蛸石の他にも数多くの巨大な石があり、運ぶだけでも途方もない労力がかかったことは想像に難くありません。しかし、重機もない時代に人力で巨大な石を運ぶことを可能にした当時の技術力はすごいですね。
当時の土木技術の高さを示す資料でもある
高い石垣を築くにはとても高度な技術が求められます。大阪城の石垣の石は切込接ぎ(きりこみはぎ)という手法が多くみられます。「切込接ぎ(きりこみはぎ)」は、石と石の間に隙間ができないよう、石の形を四角に整えて積み上げていきます。また積み方については「算木積み」が随所にみられます。算木積みは石垣の隅部に長辺が短辺の2~3倍の長さになるよう成形した直方体の石を、長辺と短辺とが交互になるように積み上げていく手法です。こうすることで隅部の石垣が一体化し、石垣全体の強度が上がります。当時の土木技術の高さが垣間見えますね。
まとめ
大阪のランドマークである大阪城はビル群を背景にした天守閣や大手門などの重要文化財、桜や梅といった季節の花など見どころがたくさんあります。大阪城を訪れた際は、ロマンあふれる石工の技術を目にすることができる石垣についても、ぜひ見ていただければと思います。
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